第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品


    『 ロックバンドと共に』
        


                                           鶴嶋 樅 

 イジメは、広域振興住宅地の高層団地に引越した、中学2年の夏が始まりだった。その年の春に団地エリア内に中学校が新設されたため、生徒全員が「転校生」という制服もバラバラの奇妙な中学生活が始まった。
 転校前の中学校からサッカー部に入っていたオレは、その新設中学校でもサッカー部に入った。3年生が4人しかいなかったので、上手い同級生はたくさんいたが、頑張れば補欠には入れるかもしれないと期待を持ったのを覚えている。

 友達はいなかった。転校時期によって既に『派閥』ができていたし、はっきりモノを言う性格が良く思われていなかったから、帰宅後に遊ぶ相手はいなかった。部活後は時間があるとひとりでボールを蹴っていた。
 夏の大会前の練習の時、個人練習の成果なのか?偶然なのか?チームメイトから「お〜!」という声がする程の良いプレイが2〜3回続いた。数日後のスタメン発表で、補欠最後の「15番」で名前を呼ばれた。新設されて日が浅かったため、まだユニフォームはなかったが、背番号を渡された。一番綺麗なTシャツにお袋が喜んで縫ってくれた。

 翌日からの練習はレギュラー組として扱われ雑務から解放された。大会は早々に敗退、オレの出番は1度もないまま終わった。

 いつもの日々に戻った。はずだった。回りがまったく変わっていた。柔軟体操でもパス練習でもオレと組む2年生がいなくなった。仕方がないので3年生や『派閥』の息の掛かっていない1年生と組んだ。

 7月の試験が終わった頃、練習の後で「アベ」がニコニコしながら「最近のみんなの態度変じゃん?それについて相談しようぜ」と話し掛けてきた。「アベ」に対してはそんなに悪い印象は持っていなかった。彼は比較的気さくに話し掛けてくる人間だったし、みんなの態度も気にしないようにはしていたが正直嫌だったので、ついて行った。連れて行かれた教室には8人の同級生が待っていた。ドアを開けて呆気にとられているオレを「いいから、とっとと入れよ!」と「アベ」が突き飛ばした。首謀者は「アベ」だった。

 「アベ」「トヨダ」「コバヤシ」「カキザキ」「アライ」「モリオカ」「オオツ」「サイトウ」「キクチ」面白いモノで何十年経った今でも名前も顔もハッキリと覚えている。

 9対1というのは、格闘技有段者や相当ケンカ慣れした人間でもかなり手強い筈で、オレはそのどちらでもなくむしろ弱い方だったからあっという間に「ボコボコ」にされた。リンチの理由は、

 「『派閥』の中で背番号を貰えないヤツがいるのになんでお前が!」 から始まって

 「レギュラー組になって偉そうに威張っていた」

 「顧問のセンセイに付け届けして背番号貰った」 とか

 「上級生にゴマ擦って取り入った」

とか。まったく身に覚えがないコトだらけだったが、「キクチ」が現場を見たという嘘まで出てきた。こうなったら何でもありだった。

 どれくらい時間が経ったのか分からなかった。30分だったのか?1時間以上だったのか?殴ってくる手をよけても別の手が、蹴ってくる足を払っても別の足が確実にオレを捉えた。とにかく体中が痛くて、その内しびれてきた。最後は顔が熱くなってボーッとしてきた。右頬がみるみる腫れ上がり、右目の視界がほとんどなくなった。

 彼らも暴力には慣れていないようで紫色に変色していくオレの顔を見ると「ヤバいよ」とか「やり過ぎだよ」と言い出して怖じ気づく者も出てきた。ちょうどそのタイミングで2年生のキャプテンの「トリイ」が「お前ら何やってんだよ!」と怒鳴り込んできた。

 怒られ、止められた「9人」はそのまま帰って行き、オレは「トリイ」にかかえられて家に帰った。彼はリーダーだった。オレをリンチする話を聞いて、止めにきたらしい。彼なりの正義感だったのだろう。

 しかし、オレを送りながら計画自体は最初から知っていたが少しはやらせるつもりだったと言い『全部お前が悪いんだから反省しろよ!センセイなんかにチクるなよ!』と言った。その時点で、オレからすれば「9人」と何ら変わりがなかった。自ら手を出していないだけで。キャプテンなら、チーム内のリンチを黙認するコトの方が大罪だと思った。

 帰宅して氷で顔を冷やしているとお袋が仕事から帰ってきた。学校に抗議に行くと大騒ぎしたが、とにかく止めた。誰も助けてくれないだろうし、告げ口したコトによる報復も怖かった。「9人」は仲間が多く、学校には誰も味方はいないと分かっていた。案の定、翌朝オレの顔を見た生活指導の「ノダ」センセイは『なんだ?その顔は。兄貴とケンカでもしたのか?』と半笑いで言った。その数日後、オレはサッカー部を辞めた。

 リンチのコトは沈黙を貫いた。というより学校ではほとんど誰とも喋らなかった。それが逆に「9人」に対して圧力になっていたらしい。いつセンセイに呼び出されるのか?いきなりケイサツが来るのか?そう怯えていたと何年も経ってから人づてに聞いた。

 「9人」は保身のためにありとあらゆる噂話を学校中に流した。オレが「近所の小学生からカツアゲしている」「そのお金を3年生に付け届けしている」「部費を盗んでサッカー部をクビになった」等々。オレは完全に犯罪者にされた。それでも一切沈黙していた。何を言っても無駄だとあきらめていた。

 そこから陰湿なイジメが始まった。筆箱を出したまま離席すると、筆箱が机に瞬間接着剤でくっつけられた。体操着はびしょ濡れにされたり汚されたり、机の中には毎日ゴミが入れられた。オレが困っている姿を見てまわりの人間が皆クスクス笑っていた。誰がやったか知っていても、誰1人として犯人を教えてくれるオレの味方はいなかった。

 吹き抜けの昇降口で2階から空気銃で撃たれたコトもあった。走り去っていく数人の笑い声が響いていた。首には丸いミミズ腫れができていた。

 ある日、昼食の時間にロッカーに入れてある弁当を取りに行くと、弁当は蓋を開けられ逆さまにされていた。やはり皆クスクス笑っていた。昭和一桁生まれの両親に育てられた影響からか食べ物を粗末にできないオレは、すごい怒りがこみ上げてきた。お袋まで攻撃されたように思えた。すぐ横で笑いながら弁当を食べている「9人」の1人「キクチ」を机ごとひっくり返して机の下敷きにした。弁当が飛び散った。

 教室中が大騒ぎになった。まわりの人間は『「キクチ」は何もしてないのに酷い!』と口々にオレを罵倒した。そして職員室に連行された。

 担任の「ナンバ」センセイは『なぜあんなコトをしたの?』と当たり前の質問をした。オレは黙っていた。すると『アンタがそんな態度だからみんなに殴られたりするのよ!』と言った。オレは愕然とした。あの日のことは黙っていた。けれどセンセイは知っていた。知っていながら任期中の波風を避けるため黙認していた。オレは職員室を飛び出した。

 その日を境に身体に異変が起こった。

  朝起きると割れるように頭が痛い。嘔吐するコトもあった。実際熱もあり、どう見ても病人だった。お袋は『学校には電話しておくから寝てなさい。お昼はお弁当食べてね。』と言った。オレは自室に戻ってベッドへ。すぐに眠りに落ちた。目が覚めると10時過ぎ、お袋はすでに仕事に出ていて家には誰もいない。不思議だが頭痛も吐き気もまったくない。至って元気だ。TVを見ながら昼飯を食べてショッピングセンターまで散歩に行った。穏やかでのんびりしている時間が心地よかった。学校の誰にも会わない安心感があった。

 その頃よく電話が掛かってきていた。お袋が出ると偽名を名乗り、オレに変わると『おい!出てこいよ!みんなでボッコボコにしてやるからよ!』と。声色を変えた何人かの笑い声が受話器から聞こえていた。オレは完全に恐怖観念に支配されていた。だから夕方に出掛ける時は「9人」に会うかもしれないと緊張し、覚悟をして出掛けていた。山歩きが好きな親父がくれた『肥後守』を上着の裾に隠して持って。もし「9人」に会ったら、もし襲ってきたら、本気で刺してやろうと思っていた。幸い会うことはなかったし、会ったとしても刺せなかったと思うが。

 そんな生活を2〜3ヶ月続けた。

  その間はTVを見たり、プラモデルを作ったり、漫画を読んだり、音楽を聴いたりした。あっという間に飽きた。たまたまレコード店で好きなバンドのギターコード譜を見つけた。そしてギターを手にした。(F)のコードが音が出ずにふて腐れて放り出した。それでも翌日には手を伸ばしていた。指が痛かったが、やっと(F)の音が出た。嬉しかった。楽しくなった。あっという間に基本のコードを弾けるようになった。コードチェンジも随分スムーズになった。どんどんのめり込んでいった。

 その頃購読していた週刊漫画で、ある漫画が始まった。それは高校の軽音楽部の話だった。主人公はドラマーで地元の有名なアマチュアバンドに加入するコトに。そこでの仲間との友情やぶつかり合い、恋愛が展開する。登場人物は特に時代の寵児とかではなくごく普通の高校生で、彼らがバンドを通じて成長していくその世界観に、妙に惹かれた。『高校の軽音楽部って楽しそうだな』と思った。

 そして「高校に行くため/軽音楽部に入るため」に登校するようになった。不思議と頭痛や吐き気はあまり起こらなくなっていた。
 3年生なると受験や内申書が気になったのか?あまりイジメをされなくなった。相変わらず無視されてはいたが、関わらなくていい分、気が楽だった。オレの成績や出席日数で行ける高校を1校だけ受験した。ようやく中学校を卒業した。

 オレが入学した高校には軽音楽部はなかった。しかし3年生の数名が軽音サークル的なコトをやっている噂を聞いた。探し出して、4人の3年生に辿り着いた。

 いきなり訪ねてきた1年生が面白かったのか?随分かわいがって貰った。

  前出の漫画の影響でドラムをやりたがったオレに基本を教えてくれたり、フォークギターしか持っていなかったオレに『ロックはエレキだぞ!』とエレキギターをくれた。遊びにも連れていってくれた。優しい兄貴達だった。しかし彼らは本気でバンドをやりたかった訳ではなかった。他にもたくさん楽しいコトがあったのだろう、一緒に演奏したのは2〜3回だった。それ以外は1人でカセットテープを聴きながらドラムやギターの練習をしていた。

 バンドを組みたいと思っても、生まれて初めてのコトだったし、ギターもドラムもバンドで演奏するレベルにはほど遠かった。いったい何からどうしたらいいのか全く分からなかったが、とにかく夢中で練習をしていた。同級生に楽器をやっているヤツがいると聞くと訪ねて行って一緒にやろうと誘った。そして1年掛かりで軽音楽部が出来た。

 2年生になった頃には徐々に人が集まり、自分のバンドを含め4つのバンドができた。みんなとてもいいヤツだった。秋の文化祭で初めて軽音楽部としてライヴができた。当然、演奏は酷いモノだったが、何年も夢見てきたコトがカタチになったのが嬉しかった。毎日が充実していた。本当に楽しかった。けれど、中学時代に根っこまで腐ってしまった心は、完全には浄化されてはいなかった。

 ある日の放課後、4〜5人で部室にいた。テスト明けで寝不足だったので『オレそろそろ帰るわ。』と1人先に部室を出た。

 オレの通学路は自宅近所のバス停からバスで20分、国道沿いのバス停で下車して学校まで20分歩いていた。その日も部室を出た後、ポツポツと1人で歩いていた。15分くらい歩いた頃、財布がないコトに気がついた。思い出した。部室の机の上に置いたままだ。とにかく焦った。数日前に貰った小遣いが全額入っていた。かなりパニックになって全力で走って学校に戻った。苦しくて心臓がバクバクしながら昇降口に飛び込んだ。上履きに履き替えるコトすら時間ロスに感じて、土足のまま3階の部室に急いだ。

 勢いそのままにドアを開けた。さっきまでオレが居た時と同じ光景がそこにはあった。みんな眼を丸くしていた。

 『どうしたんだよ!びっくりすんじゃんか?』

  『さ、さい、財布、わ、わ、忘れて』

 髪もYシャツもびしょ濡れになるほど汗をかいて、ノドもカラカラになっていたから、まともに声が出なかったが、辛うじてそれだけ言葉にした。言いながら、オレはみんなの真ん中にある机を凝視していた。
 そこにはオレが置いた時のまま、同じ位置に、同じ向きで財布があった。誰も触れていなかった。みんなの目の前に放置されていたのに。

 『財布?あっ!コレか!』

 『そうか、オレらが帰っちゃうと部室閉まっちゃうもんな。それで急いで戻ったのか。 でもどうでもいいけど、お前、随分酷いよ、雨降ったみたいだぜ。』

そう言ってみんな笑った。オレも笑った。フリをした。汗にまみれていて誰も気づいていなかったが、本当は泣いていた。

 中学時代なら財布は確実に消えていた。財布自体が残っていたとしても、中身は100%空になっていた筈だ。高校に入って、軽音学部を創って仲間が、友達ができた。けれどオレはみんなを心の奥底で信用していなかった。そこまで腐っていた自分が本当に情けなくて嫌だったし、みんなに申し訳なく思った。

 その時からこの仲間のコトは無条件に信じようと決めた。文化祭の後には、自分のバンドだけではなく、いくつか別バンドもやっていた。バンドというのはお互いのパートを信頼しなくて成り立たない。ならば普段もそのまま素直に、仲間を信頼すればいいのだと分かった。何年も掛かってやっと霧が晴れた。

 それから卒業までの間に6回、軽音学部主催のライヴをやった。街のライヴハウスにも2回出演した。高校生バンドのコンテストにも応募して教育会館で800人の前で演奏もした。それこそ言葉どおりバンド漬けの高校生活を謳歌し、あっという間に時が過ぎた。

 卒業式から帰って、卒業証書をお袋に渡した。しばらくじっくりと見てから

 『あんたはロックに育てて貰ったね、よかったね。大事にしなさいね。』

 そう言ってお袋は泣いた。

 それから25年が経った。社会人になり、数年前には自分で会社も始めた。結婚して、子どもも4人いる。そして、今でもバンドを続けている。本当にたくさんの仲間がいる。心の底から幸せだと言い切れる。きっとこの先も、オレという人間を創り育ててくれたロックを、バンドを止めるコトはないと思う。